日本では緑茶が多く飲まれていて、紅茶を飲むことは少ないのが実情です。紅茶の歴史を知っている人も少ないはず。

日本での紅茶の歴史と、世界における紅茶の歴史について。

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紅茶の歴史をちょっとだけご紹介

日本では緑茶が多く飲まれていて、紅茶を飲むことは少ないのが実情です。

紅茶,歴史
実際に日本茶のメーカーは、さほど熱心に啓蒙広告を行いませんが、リプトンやトワイニングなどは、紅茶を飲む習慣のない日本人に対して、イメージ広告ではなく、あらゆる啓蒙広告を行います。それでも緑茶を飲むことが「あたりまえ」の日本ではなかなか紅茶の消費量が増えません。世界のお茶の消費の8割は紅茶なんですけどね。 日本、中国が緑茶を消費し、それ以外の地域、ヨーロッパやアメリカではお茶といえば紅茶。お茶の本場イギリスに至っては、紅茶しかないと言ってもいいくらいです。 紅茶の歴史は、お茶の起源である中国と、それを国力にまかせて自国のものにしたイギリスとの関係性をひも解く歴史でもあります。

■中国と紅茶

中国でのお茶の歴史をひもとくと、結局は「伝説」に辿り着きます。

中国はその歴史が古いので、なんでもかんでも伝説です。 お茶には「神農伝説」という伝説があり、漢の時代にお茶が始まり、その後、発酵を止める技術や、茶葉の天敵である湿気を防ぐ技術の発達とともに、現在の茶の文化がそれなりにできたとされています。唐の時代の「茶経」はお茶の書として最古のもので、茶の起源、道具、製造、茶器、煮方、飲み方、歴史、産地が体系的に網羅されています。

一部の上流貴族の文化として茶が確立するのですが、当然その背景には一般庶民の涙ぐましい努力があり、朝から晩まで茶の木の手入れを庶民はしていました。茶を精製して固形にして貴族に献上するんですね。固形にしないと茶葉が湿気を吸ってダメになるというのが理由でしたが、様々な技術の発展とともに、固形にする必要もなくなり、14世紀頃になると、固形茶はしだいに廃れ、現代と同様の葉茶を煎じて飲む茶が中心になります。

やがて、烏龍茶などの半発酵茶など、今でいう六大中国銘茶が生まれます。六大銘茶には紅茶も含まれており、中国や日本からヨーロッパにお茶が運ばれます。1600年頃のお話です。ただし、当時の紅茶とはいまの紅茶ではなく、緑茶・烏龍茶でした。発酵の技術の関係で、まだ今のような紅茶ではなかったのです。

やっと紅茶がイギリスに入る頃

1600年頃……

まだ日本では刀で殺し合いをしていた頃、イギリスにオランダ経由で紅茶が入ります。オランダは当時は非常に栄えていたんですね。今は風車ののどかなイメージしかないオランダですが、当時は貿易において1歩も2歩も抜きん出ていたのがオランダです。

オランダ人が日本と中国からそれぞれお茶を買いつけてジャワ島のバンタムからオランダ船に積んで本国に送ったのが1610年頃。オランダの連合東インド会社のアムステルダムのサロンで使われたようです。1630年代の中頃から、オランダは近隣諸国のドイツ、フランス、イギリス等へもお茶を売るようになります。

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その頃のイギリスでは、オランダでアフタヌーンティーの経験をしたイギリス貴族が紅茶を多少たしなむ程度でした。その紅茶をたしなむ雰囲気が良かったのか、紅茶そのものが美味しかったのか定かではありませんが、1662年国王チャールズ2世のもとへ嫁いできたポルトガル王の娘キャサリン王妃が東洋趣味に傾倒しており、紅茶を飲む習慣を宮廷にもたらしたことから、紅茶はイギリス宮廷の飲物となったといわれます。 そうこうしているうちに、英蘭戦争が始まり、この戦争をきっかけに、イギリスはオランダから中国貿易の主導権を奪っていきます。

■紅茶で華咲くイギリス文化

1600年の後半に、東インド会社が福建省の厦門と直接の交易をはじめ、イギリスでの東洋趣味が一気に高まり、上流階級の家庭でも中国の急須や茶碗を買い求め、茶を飲むようになっていきます。18世紀初め、アン女王という大の美食家が、朝食には必ず茶を飲み、宮廷では茶会を楽しみ、一日中何度も茶を飲んだとされる文献が残っています。しかしここまで時代が下っても、当時のお茶は、紅茶ではなく緑茶・烏龍茶です。 1700年に入って、西洋らしい銀のポットで紅茶をたしなむようになります。1760年には東インド会社がかなり頑張ったこともあり、イギリスのお茶の消費量はすでに他のヨーロッパ諸国の全消費量の約3倍に達していました。 18世紀後半に入ると、イギリスにも窯業がおこり、イギリス独自の陶磁器が大量生産できるようになります。

■やっと今で言う「紅茶」が生まれる

福建省武夷山の烏龍茶を進化させて、やっと「紅茶」が生まれるのが1700年の終わりくらいです。

18世紀後半に、中国で、茶葉の発酵度合いを考えて出来たのが今で言う「紅茶」です。もとは烏龍茶葉が紅茶になる前の茶葉であると言われています。 この頃、東インド会社の独占貿易に嫌気がさした人々が、茶の密輸をしたり、密輸した茶葉に不純物を混ぜるなどの行為がありました。つまりイギリスに入ってくる紅茶(厳密に言うと緑茶)は品質が下がっていたんですね。

同時に、烏龍茶のダイエット効果もイギリスで広まっていました。そういう背景の中、烏龍茶(青茶)をもう少し発酵させた「紅」茶が中国で製造され、この頃になってやっと今で言う「紅茶」がイギリスに入ってきます。

■産業革命もあって

ちょうどイギリスでは産業革命が進行して、工業化社会が成立していく時代でした。

茶を飲む習慣は、上流階級から中産階級に普及し、労働者階級でも時には茶を飲めるようになっていきます。それまでは昼間からアルコール飲料を飲む人も多くいましたが、健康面を気遣い、お茶を飲むことが普及します。産業革命が紅茶を広めるんですね。 飲み方も、ストレート、ミルクを入れる、砂糖を入れるなど、さまざまな飲み方が生まれ広まります。西インド諸島での砂糖量産が成功した頃ですから、砂糖の価格の下落に伴って、茶を飲みながら糖分を摂取することも普及しました。

19世紀になると、イギリス独自の製法「ボーンチャイナ」の「骨灰磁器」が開発されたり、 安価な銀の茶器が販売されるなど、飲み方に留まらず、茶のアイテムもイギリス独自でつくられるようになり、イギリス=紅茶という図式が世界的に明確化していきます。 当時のイギリスの産業革命は、日本のバブル以上の騒ぎでしたから、バブルの勢いに乗って、茶の文化を一気に開花させたイギリスの様子がうかがい知れます。

紅茶を買収?インドを買収?

19世紀に入ると……

イギリスはインドで茶の木を発見します。イギリス帝国は自国で必要とする紅茶を中国以外の土地で栽培、自給し、他国へも輸出しようとして、1838年には、インド総督ウイリアム・ベンティンク卿の下「茶業委員会」が設置され、アッサム地方での茶の栽培と製茶が始まります。中国種に比べ、アッサム種はタンニンが多くそれはイギリス人の求める味覚にぴったりでした。インドでの紅茶製造は発展し、東パキスタン、セイロン島へも広がります。また、オランダの植民地であったインドネシアでも、1870年代に入ってからプランテーションが開発され、ジャワ島での紅茶の生産もインドやセイロンに次ぐものになります。 茶の起源である中国から始まった紅茶は、戦争、植民地化、産業革命などのお金と国力のパワーゲームによって、こうやってイギリスにその本場を移していくのでした。

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